2024年10月05日

設立趣意書

 

低線量の放射線被ばくによる影響を解明する学際的な日本イニシアチブ
(Japan Multidisciplinary Effects-of-Low-Doses Initiative:JMELODI)
を求める科学者声明

2011年3月に発生した東京電力福島第一原子力発電所事故により、原子炉から大量の放射性物質が放出された。その結果、発電所周辺の住民のみならず広い地域の住民が避難を余儀なくされ、事故から4年が経過した2015年現在でも、避難者の数は10万人以上といわれている。事故直後より放射線量は減少したが、これからも長期にわたり土壌、海水、食物の汚染による低線量被ばく問題が続くことが予想される。また、汚染水の問題は国際的にも不安を与えている。放射線被ばくの影響は自然科学の領域を超え、高齢化や過疎化といった日本社会が抱える諸問題も加速度的に悪化させている。

事故後、放射線被ばくリスクについて, 科学的根拠に基づいた正確な情報が不足し、政府の方針は定まらず、マスコミの報道や極端な立場に立つ一部の人々の意見が氾濫した。そのため、市民、特に福島県民は何を信じていいかわからず、混乱の中で自らの行動を決めざるを得なかった。このように市民が科学者を最も必要としている時に、一部の科学者は自らの見解こそが「放射線の正しい知識」であると声高に主張し、社会の混乱はさらに広がった。地道な基礎研究や現地調査、市民との直接対話を通じて自主的に社会的責任を果たそうとした少数の科学者もいた。しかし、ほとんどの科学者は沈黙した。こうして、科学者に対する不信、ひいては科学の権威の失墜につながった。

この混乱を生み出した根本的な原因は、マスコミや一部の科学者の態度だけに帰すことはできない。科学者コミュニティ全体にも責任がある。科学者は今や極度に専門化し短期的な競争資金獲得に奔走する一方、総合的・長期的研究を通じて社会的責任を果たせるような研究環境の整備を不問としてきた。この状況下で、低線量被ばくに関して科学的な合意がどこまで可能かという根本的な問いに真摯に向き合い、分野を超え、偏見を排し、自由な批判精神に基づいた共同研究とアカデミックな議論を行う場がなかった。そのため、物理学と生物学、疫学と実験、防護実務と基礎研究との間で見解の相違が生じ、その相違が社会に広がり、結果として、科学者はその社会的責任を果たすことができなかった。

放射線の生体への影響、特に低線量被ばくについては、疫学、動物実験、細胞実験、分子生物学の各分野において様々な研究が行われ、多くの成果を挙げてきた。しかし、国家プロジェクトとして長期にわたり腰をすえて研究する予算的処置はほとんどなされていない。経済的利益を生み出さない放射線防護と安全に関する研究は軽視され、近年の研究環境の悪化のために研究の継承すら危うくなっている例も少なくない。しかし、放射線防護と安全に関する研究を平常時から強化することが、原発事故のような莫大な損失を最低限に抑えることにつながる。

欧米では科学者が所属機関や専門分野を超えて協力し、低線量被ばくに関する基礎研究を長期にわたって行う体制が整えられつつある。例えば、ヨーロッパでは国際共同プロジェクトMELODI (Multidisciplinary European Low Dose Initiative)が2010年に組織され、「損失をもたらす知識の落差」、すなわち「低線量被ばくに対するヨーロッパの放射線防護システムの頑健性に対する疑問」や「予防原則に基づいた規制システムと低線量・低線量率被ばくによる健康リスクの実際の狭間で混乱する世論」、そして「放射線リスクの階層性、広がり、そしてその予防に関する専門領域外での誤った判断」を解消するため研究を進めている。また、米国では本年1月に「より優れたリスクマネジメントの方法を提言するために低線量放射線被ばくの影響に関する科学的知見を増進し、それに付随する不確実性を低減する」ことを目的とした「低線量放射線研究法」が米国下院を通過し、エネルギー省と科学アカデミーが共同プロジェクトの立案を開始している。

日本は被爆国として、放射線の影響に関する研究をリードしてきた。福島第一原発事故を起こした日本は、低線量被ばくに関するこれまでの研究成果を総括し、人類の未来の為に、放射線被ばくに関する基礎研究をさらに強化する責務を負っている。日本は、基礎研究と並行して、国内外の被ばく者の健康調査の拡大、予防的な治療の推進、そして被ばく者の福祉と権利の向上を先導する使命も担うべきであろう。

現在、原子力発電の是非をめぐる社会的議論が国内外で続いている。だが、すでに低線量被ばくが起きていること、それが今後長期間にわたって起きることを考えると、低線量被ばくに関する研究は原子力利用の有無に関わらず避けて通れない。低線量被ばくの影響については未だよくわかっていないことが多い。その研究には様々な困難が伴う。その解釈は科学的、社会的論争を巻き起こしている。しかし、それは低線量被ばくの影響を科学的に解明する真摯な努力を妨げる理由にはならない。低線量被ばくの学際的研究は、放射線防護に資するのみならず、各分野の基礎科学の振興と分野間の協同も促進し、生命現象の解明が大きく前進するであろう。今こそ、日本の科学者は様々な研究機関や専門分野を横断する長期プロジェクトを立ち上げるべきである。日本政府はそのようなプロジェクトの実現を可能とするような研究制度を整備すべきである。

そのようなプロジェクトは真に国際的でなければならない。湯川秀樹博士はノーベル賞受賞後、国際的な共同利用・研究を目的として基礎物理学研究所を設立した。それは国境や分野の壁を乗り越えた研究制度の先駆けとなり、その精神は現在の共同利用・共同研究拠点制度に継承されている。私たち日本の科学者は、湯川博士が希求したコスモポリタンの精神、そして今から60年前に発せられたラッセル・アインシュタイン宣言の精神を継承し、特定の信条や国を超えた人類の一員という原点に立ち返り、公正な立場から公開の原則に則った科学研究を通じて低線量被ばく問題に取り組む必要がある。共同利用・研究の精神に基いた真に国際的・学際的な長期プロジェクトこそ、原子力を人類のために解放した科学者が人類に対して負う究極の責務である。私たちは、「低線量の放射線被ばくによる影響を解明する学際的な日本イニシアチブ」(Japan Multidisciplinary Effects-of-Low-Doses Initiative:JMELODI)の実現を、関係諸分野の科学者の皆様に呼びかける。

設立趣意書 日本語ver. 5月25日版 PDF

 

JMELODI(Japan Multidisciplinary Effects-oflLow-Doses lnitiative)設立趣意書

2011年3月に発生した東京電力福島第一原子力発電所事故により、原子炉から放射性物質が大量に放出された。その結果、発電所周辺の往民のみならず多くの往民が避難を余儀なくされ、今なお、10万人以上が避難を続けている。事故直後より放射線量は減少したものの、犬気、海水、食物が汚染により、多くの人々が長期の低線量披ばくに向き合わざるを得ない状況となっている。また、汚染水の問題は国際的にも不安を与えている。

事故後、放射線の披ばくのリスクについて、科学的根拠に基づいた正確な情報が不足し、政府の方針は定まらず、マスコミの報道や極端な立場に立つ一部の人々の意見が氾濫した。そのため、市民、特に福島県民は何を信じていいかわからず、混乱の中で自らの行勤を決めざるを得なかった。このように市民が科学者を鏝も昌要としている時に、一部の科学者の極端な意見が飛びかった。自士的に社会的責任を果たそうとした少数の科学者もいたが、ほとんどの科学者は沈黙した。こうして、科学者に対する不信、ひいては科学の権威の失墜につながった。

しかしながら、このような状況を生み出した根本的な原因はマスコミや一部の市民の極論の横行のみならず、科学者の側にもあったのではないだろうか。科学者は極度に専門化し短期的な競争資金獲得に奔走する一方、科学者が総合的かつ長期的な研究を通じて社会的責任を果たせるような研究環境の整備は不問とされてきた。このような状況下で、低線量被ばくに関して科学的な合意がどこまで可能かという根本的な問いに真摯に向き合い、分野を超え、偏見を排し、徹底的に議論する場がなかったのではないだろうか。そのため、物理学と生物学、医療の現場と基礎研究との間で見解の相違が生じ、その違いがそのまま社会に広がり、結果として科学者は社会的責任を果たすことができなかったというべきであろう。

放射線の生体への影響、特に低線量被ばくについては、疫学、勣物実験、紬胞実験、分子生物学の各分野において様々な研究が行われ、多くの成果を挙げてきたものの、国家プロジェクトとして長期にわたり腰をすえて研究する予算的処置はほとんどなされていない。直ちに経済的利益を生み出さない放射線防護と安全に関する研究は軽視され、近年の研究環境の悪化のために研究の継承すら危うくなっている例も少なくない。 しかし、放射線防護と安全に関する研究を平常時から強化することこそ、今回の原発事故のような莫犬な損失を鏝低限に抑えることにつながるのである。

翻って、欧米では科学者が所属や専門を超えて協力し、低線量披ばくに関する基礎研究を長期にわたって行う体制が整えられつつある。例えば、ョーロツパでは国際共同プロジェクトMELODI(Multidisciplinary European Low Dose lnitiative)が2010年に組織され、「損失をもたらす知識の落差」、すなわち「低線量披ばくに対するョーロツパの放射線防護システムの頑健性に対する疑問」や「予防原則に基づいた規制システムと低線量・低線量率披ばくによる健康リスクの実際の狭間で混乱する世論」、そして「放射線リスクの階⑩ト生、広がり、そしてその予防に関する専門頒域外での誤った判断」を解消するため研究を進めている。また、米国では本年T月に「より優れたリスクマネジメントの方法を提言するために低線量放射線披ばくの影響に関する科学的知見を増進し、それに付随する不催実性を低減する」ことを目的とした「低線量放射線研究法」が米国下院を通過し、エネルギー省と科学アカデミーが共同プロジェクトの立案を開姑している。

目本はこれまでも披爆国として放射線の影響に関する研究をリードしてきた。福島第一原発事故を経た今こそ、目本は低線量披ばくに関するこれまでの研究成果を総括し、人類の将来の発展の為にこのような基礎研究をさらに強化する責務を脂っている。

現在、原子力発電の是非をめぐる社会的議論が国内外で続いている。 しかし、すでに低線量披ばくが起きていること、そしてそれが今後長期開にわたって起きることを考えると、低線量披ばくに関する研究は原子力利川の有無に関わらず避けて通れない。確かに、低線量披ばくの影響については未だよくわかっていないことが多く、その研究には様々な困難が伴う。また、その解釈は科学的、社会的な論争を巻き起こしている。しかし、それは低線量披ばくの影響を科学的に解明する努力を妨げる理由にはならない。今こそ目本の科学者は様々な研究機関や専門分野を横断する長期プロジェクトを立ち上げるべきである。そして、目本政府はそのようなプロジェクトの実現を可能とするような研究制度を整備すべきである。

さらに、そのようなプロジェクトは目本国内にとどまらず真に国際的でなければならない。湯川秀樹博士はノーベル賞受賞後、国際的な共同利用を目的として基礎物理学研究所を設立し、それは現在の共同利川・共同研究拠点の原点の一つとなった。私たち目本の科学者は、湯川博土が希求したコスモポリタンの精神、そして今から60年前に発せられたラッセル・アインシュクイン宣言の精神を継承し、特定の信条や国を超えた人類の一員という原点に立ち返り、公正な立場から公開の原則に則った科学研究を通じて低線量披ばく問題に向き合うべきである。共同利用研究の精神に基いた真に国際的・学際的な長期プロジェクトこそ、原子力を人類のために解放した科学者が人類に対して負う究極の貴務である。

私たちは科学者の世論を結集し、共同利川の精神に基づく目本版MELODI(JMELODI:Japan Multidisciplinary Effects-of-Low-Doses lnitiative)を実現するため、関係する諸分野の科学者の皆様に支持を呼びかける。

設立趣意書 日本語ver. 4月9日版 PDF

 


 

 

Founding Statement for JMELODI
(Japan Multidisciplinary Effects-of-Low-Doses lnitiative)

The accident at Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant in March 2011 led to the major release of radioactive materials from the damaged reactors. As a result, a great number of residents including those living around the power plant were forced to evacuate. Even now, over 100,000 of them remain displaced. Although radiation levels have been decreasing since the accident, many people still face long-term dangers of low-dose radiation due to thecontamination of the air, sea, and food. The leakage of contaminated water has been also a matter of intemational concern.

Following the accident, it became immediately clear that the accurate, science-based information regarding risks of radiation exposure was scarce. Government actions were indecisive, whereas sensational medial coverage and opinions of those with extreme views were rampant. Citizens, especially people of Fukushima Prefecture, did not know what to believe anymore and found it inevitable to act on their own in the midst of confusion. At the very moment when citizens needed scientists most, only extreme opinions of some scientists carried headlines. While a small number of scientists tried to take initiative out of a sense of responsibility, a great majority of them remained silent. Public trust in scientists nosedived, and so did the authority of science.

The fundamental cause of this crisis in science, however, lay not only in mass media and extreme views expressed by some people, but also among the scientists themselves. Scientists have been overspecialized and preoccupied with short-term grants and contracts, whereas few have taken initiative for creating a research environment in which scientists can fullfill their social responsibility through comprehensive and long-term studies. There has been thus nochance for scientists from different fields to come together, with no prqjudice held against one another, and thoroughly discuss the fundamental question of whether scientific consensus is possible regarding low-dose radiation exposure. As a result, a serious divergence in views has emerged between physics and biology, medical providers and researchers, which has spilled overto the public sphere and hampered scientists in meeting expectations from citizens.

ln Japan, researchers in various fields such as epidemiology, animal experiments, cell research, and molecular biology have been making much progress with their studies on health effects of ionizing radiation, especially those of low-dose radiation. There has been little budget provided, however, for a well-planned, long-term national project. Research for radiation protectionand safety has been neglected due to the lack of immediate economic profits, and there has been even a danger that some lines of research might be terminated due to the recent deterioration of the research environrnent. Only when we invest in research for radiation protectionand safbty in normal times can we minimize the otherwise enormous loss during a time of crisis as demonstrated by the latest accident.

Looking beyond Japan, scientists in Europe and the united States have been in close collaboration across affiliations and disciplines to conduct basic research on exposures to low-dose radiation for a long period of time. ln Europe, for example, the international joint project MELODI(Multidisciplinary European Low Dose lnitiative) was organized in 2010 to address a ”damaging knowledge gap,” which are: ”doubts about the robustness of the European radiation protection system at low dose exposures”; ”confusion in the public opinions between a precaution-based regulatory System and the actual existence of health risks at low dose/dose rate exposures”; and ’poor judgment outside the professional sphere about the hierarchy, prevalence and prevention of radiological risks,” ln the United States, the House of Representatives passed in January 2015 the Low-Dose Radiation Research Act with the purpose to ”enhance the scientific understanding of and reduce uncertainties associated with the effects of exposure to low dose radiation in order to inform improved risk management methods.”lnresponse the Department of Energy and the National Academy of Sciences have started planning a joint project.

As the nation that experienced the atomic bombings, Japan has been leading the research on the biological emlcts of radiation. Having undergone the Fukushima Daiichi nuclear power plant accident, Japan is more responsible than ever for putting together all studies up to now regarding low-dose radiation and promoting these basic research prqjects for the 丘lture betterment of mankind.

Today, there has been a great debate in progressjn and out of Japan, regarding nuclear power. Considering the existing conditions of low-dose radiation and its persistence for a long period of time, however, we must not ignore the pressing need for studies on low-dose radiation whether or not we continue to use nuclear power. 0f course, there is much uncertainty regarding the effbcts of low-dose radiation, and researchers face enormous problems. lnterpretations of research are also scientifically and socially controversial. These challenges, however, must not impede the effort to scientifically elucidate the biological emlcts of low-dose radiation. The time has come for the Japanese scientists to launch a long-term project cutting through various institutions and disciplines. And the Japanese govemment must bear the responsibility for providing a research environment that is conducive to such a project.

Moreover, the project proposed above must be truly intemational. Dr. Hideki Yukawa, following his winning the Nobel Prize, established Yukawa lnstitute for Theoretical Physics in 1953, which pioneered in the subsequent establishment of the Joint usage / Research Center program in Japan. We Japanese scientists must inherit the spirit of cosmopolitanism espoused by Dr. Yukawa and also that of the Russd-Einstein Manifesto issued 60 years ago, retum to our basic roots as the human race regardless of creed or nation, and confront the problem of low-dose radiation through scientific research which must be open and impartial. A truly intemational, multidisciplinary, and long-term project rooted in the spirit of joint usage is the ultimate responsibility that the scientists, who unlocked atomic energy, must bear for mankind.

We invite all scientists in Japan to subscribe to our call for the creation of the Japanese version of MELODI (JMELODI: Japan Multidisciplinary Effects-of-Low-Doses lnitiative) following the spirit of joint usage.

設立趣意書 英語ver. 4月9日版 PDF