2024年10月11日

博士定員の縮小?(ブログ その13)

「博士課程の定員縮小を 国立大に大学院再編促す 文科省要請へ」2009年5月31日東京新聞 朝刊に、こんな記事が出たという知らせをうけた。「え、ほんとですか?」思わず耳を疑った。

博士は就職先がない、という話だけが世の中に出回って、企業からみて使い物にならないとか、役に立たないといった報道にはうんざりしているのだが、博士が有り余っている、ということだけを見て、文科省がこういう方針を出すとは驚いた。まさかと思って、インターネットで検索してみた。どうやら 東京新聞 だけらしい。

信憑性を調べたいと思ったが、いつものことだが、どれを見ても同じ情報しかない。出所は、やはり東京新聞だけのようだ。中身を読むと、よくこんな程度の認識でことを進めるものだと、科学リテラシィのなさに、愕然としてしまう。とはひどいものです。データに基づいたきちんとした分析の上に立った結論を出してほしいものだ。

これに比べて、毎日新聞 は、大阪府立大学の浅野雅子さん(准教授)がこつこつと素粒子論グループの名簿を点検して、全数調査をしたデータの紹介であるが、的確な記事である。

行政も含めて、日本の博士を持つ人材の全体像がつかめていないのは、1つには、研究者が国際的な性格を持ち、世界中に散らばっているからだ。常勤の場合は、海外出張扱いになることが多いので、所属はそのままで、どこにいるかわかる。尤も、常勤といえども、最近は忙しくなりすぎて、とても海外出張で、英気を養ってくるなどということもなかなかできなくなったが、若いポスドクの場合は、常勤ポストではないので、所属が海外に移ってしまう。そういう人のトレースは、学問的なつながりだけが頼りで、学問のルート屋学会のコネをたどってしか居所がわからない。こういう人の大多数は、結局、日本の学会から退会するので、学会名簿から姿を消す。国際的な場で活躍していても、常時日本にいないので、どうしてもネットワークが希薄になり、業績を上げてもなかなか日本でポストを見つけるのが難しくなるといって嘆いている若い人をよく見かける。「近頃は海外にあまり行きたがらない」といった風評もあるが、こういうことも一因かもしれない。

幸い、素粒子論グループは、国際的なネットワークが開けた分野でもあり、昔から海外ポスドクがけっこうな人数存在していた。しかし、海外にいると、素粒子論グループの会費を納めるのが手続き的に大変で、ついついメンバーから抜けていることが多かった。足に最近、こうした海外のポスドクが増えたこともあり、学問上大変重要な位置にある若手の研究者は、就職情報などは送り届ける必要があるといった状況をかんがみ、2004年から、海外オブザーバー会員制を導入して、素粒子論グループから就職情報などを提供する仕組みを作っていた。普通なら、海外に出ると日本とのチャンネルがきれ、よけいに就職しにくい環境におかれるのだが、この仕組みで、けっこう、キャリアパスの多様化の情報も含めて、功を奏していて、物理学会が取り組んでいる活動分野の拡大に応じて、医学物理分野のポストについたり、教育部門に興味を持ち高校の先生になったり、高等教育センターなどに活動の場を移す若手が増えている。医学物理分野には、既に20にを超す人材が活動を開始しているし、かの有名な秋田県の博士の高校教師が生まれたのも素粒子論の研究をしていた若手のバリバリ、彼は台湾にいたとき、募集案内を素粒子論グループからの情報で知ったわけだ。ほかにも、この4月から高校の先生になった若手を何人も知っている。余談だが、昨年夏、素粒子分野では、せめて忙しい研究者が夏に集まって、アイデアを交換し、大いに共同研究を進めようと、1年以上前に、夏の研究会(サマーインスティチュートと呼んでいるが)を企画している。これに賛同した韓国や台湾などからも参加するようになって、国際的な風格がいつの間にかでき、「今度は韓国でやろう」とか「台湾で」とかいう話になって、昨年夏は、台湾でSIを開催した。100人を超す研究者が1週間ひざを突き合わせて議論をするのだ。そこで、ついでに、「ポスドク問題」もインフォーマルミーティングをした。びっくりしたのは、台湾には、日本からポスドクが、素粒子分野だけでも20人もいるのだという。日本の若手は優秀だから、「まだもっと来てもらってもいい」と言っておられた。宇宙と素粒子とで40人も日本からのポスドクがいるのだ。向こうにいる若手が結構いるのは知っていたが、これほどとは・・・。台湾ばかりではない。ヨーロッパにもアメリカにも、たくさんの海外ポスドクがこうしてネットワークを作っている。

こんな状況だから、素粒子論グループは、数多い学会グループの中でも、昔からの伝統とコスモポリタンの心意気がある。その素粒子論グループならではの、助け合いの伝統が、海外の若手も含めたネットワークを形成しているのだともいえる。もちろん、これで全部をカバーしているとは限らないが、かなりの学会活動をしている方々の情報を共有する仕組みができている。この名簿を使って、データ分析したのが、浅野雅子さんであった。

詳しい調査報告は、雑誌「素粒子論研究」の電子版 をみていただくとして、上記の結論に反論するデータをここでは紹介する。

さて、文科省の方針は、「ポスドクが、ニーズ以上に増え、就職先がない人が増えたから、大学院の定員が多すぎるのだ。」という事実の上に立っている。それはほんとうなのか。ニーズとは何から決めるのか、ということを考えてみよう。素粒子論グループの名簿は、保母、研究活動を行っている日本の研究者の吸うと等しい。素粒子論グループに入ってない素粒子研究者というのは、殆ど居ない。素粒子論グループの会費は、年間、1000円とか2000円程度、それに対して、研究者としてのネットワークは、実質的に研究を推敲する上で、大変、貴重なのである。その上、就職情報や海外ポスドクの紹介などもネットワークを通じて常に行われている。従って、これが実質的な研究を支えている人数に、ほぼ一致するだろう。模試、研究者が増えすぎているという事実があるなら、上記の素粒子論グループのメンバーの年推移が、増加の一途をたどっているはずである。上記、浅野論文からそれを検証してみよう。図1-1、実質的な素粒子研究者全体ともいえる素粒子論グループのメンバー数の年推移のグラフである。これをみると、1998年から、決して増加していないで、ほぼ700名程度、一定である。

図1-1 素粒子論サブグループの身分別人数

  

図1-2 素粒子論サブグループに所属する「OD」会員の所属先別人数分布

それに対して、「常勤職」というべき、教授(P)、助(准)教授(AP)、講師、助手(助教 A)の数は漸減しているし、大学院生も減少している。その分、非正規雇用に相当するポスドク等(OD)の人数が増えているのである。

これは、何を意味するか、研究を支えている研究職が減り、その分がポスドクで補われているということではないか。さらに、そのポスドクの内訳、図1-2である。これは、毎日新聞に掲載されたグラフである。これから、海外に流出している若手研究者の総数が増え続けているということが容易に読み取れる。結局、国内の研究者人口は減少しているのである。つまり、「海外ポスドクまで含めれば、全体の研究者の人口は、減って居はいないが、実質的には国内の研究者は減少している。」ということになる。さらに、「ポスドクの人数は増えているが、常勤の研究者は張る一方だ」ということも示している。どうして、常勤の研究者がこれだけ減少しているのか、ということは、謎である。私たちの周辺では、定年退官した後の研究ポストが若手に回ってくると期待していたのに、それが、「定員削減」のあおりを受けて、実際には素粒子のポストには還元されない実例を、目の当たりにしてきた。だのに、不思議なことだが、公式の全体の教員数は、依然として増え続けている。

出典:文部科学省「学校基本調査報告」より作成(2005年)より
注1: 本務教員のみ、1996年度を1.0としたときの指数
注2: 括弧内は2006年度の本務教員数
注3: 各年度5月1日現在の数値 全体の数には学長、副学長を含む

教授・助教授は増加の一途をたどっているではないか。このギャップはなにか。。全体として伸び続けている教員ポストは、どこにいっているのだろうか。それを明らかにするには、このポストの内訳を詳細に検討するしかない。残念ながら、私がわかっているのは、ここまでだ。

事実をきちんと分析して、今起こっていることを正確に押さえ、そしてそこから方針を出すというのが、科学の真髄である。気分や感情だけで適当に判断して、間違った認識の上に立って、方針を決めるのは、少なくとも、文科省のやるべきことではない。こういう風潮をなくしていかなければ、科学技術立国の基礎が危うくなる。こういう訓練ができていないと、単なる自分の勘に頼って政策を作ることになってしまう。昨日言ったことを今日覆すような短期的で近視眼的な思いつきでは困る、ついこの間ポスドク1万人計画を提案し、ポスドクのキャリア多様化を呼び掛けていたのはどうなったのだろう。そこでのしっかりした総括なしに、「失敗したから縮小する」などといわれると、情けなくなる。如何に事実をしっかり見つめる目が大切か、まだまだ科学リテラシィが、マスコミにも行政にもしっかり認識してほしい。

そもそも、大学院の定員を増やし、そして大学院教育を充実して、日本の学術のレベルを上げようということではなかったのか。増えたオーバードクターを何とか対策を立てようとポストドクター制度をつくり、ポスドク1万人計画を立てたのではないかと、揶揄されたとき、もっとまともな答えをしてほしかった。それはちがうだろう。本来大学院を出て、世界に羽ばたき、自由な時間をもち、研究だけを考えて真摯に取り組む機関が若い間に必要だ、その期間に、国際的な視野を持ち、学問の幅を広げ、ノーベル賞を目指した日本の若い研究者が、しっかり育ってほしいと始めたのがポスドク制度ではなかったのか。今になって、それが間違っていってほしくない。科学技術の基礎をしっかり身に着けた博士が、もっとさまざまな分野で活躍できるはず、その道を切り開こうと、キャリア支援の活動が始まったのではなかったか。

物理学会では、物理医学への道や、教育分野への活動の場を広げるために、いろいろな企画をし、活動に取り組んできた。単なる職業斡旋ではなく、もっと、未来の日本のあり方を見つめて、企業とも話し合ってきた。尤も、そういう活動はあまり評価されていないようだが。

それにもっとおどろくのは、「文科省は、見直しに応じる大学に資金を厚めに配分する仕組みを検討する。」とある。えー?大学院の人気がなく、定員を縮小するところに資金を厚めに??? 信じられない方針である。実力もあり、学問的に人気のあるところに大学院生が集まるのは当然である。それ、人気がない方がいいとでもいうのだろうか。あまりにも信じがたい話ではないか。

全国の大学院を教育している皆さんの率直なご意見をぜひ聞きたいものだと思っている。

追記:この記事は東京新聞にしか掲載されていない、ひょっとして、まだ、それほど知られていないのかもしれないが、どういうことか、全国の日本の科学技術の未来を憂える皆さん、ぜひ、情報をお持ちの方は、お知らせ願いたい。

なお、日本物理学会と国立教育政策研究所との合同で、「ポストドクター問題」という本を出版した(世界思想社)。ぜひ、ご一読をお願いしたい。

(この続きの、綿密な調査報告を物理学会では現在準備中である。なお、この掲載をご承諾くださり、きれいな図を送ってくださった浅野雅子さんに、心より感謝します。)