2024年10月05日

戦争と科学への視座1 ~文博訪問を契機に~(ブログ その155)

2021年1月13日、艸場さん・山岡さん・中西さん、それに私の4人組で、文化庁の展示「科学者の見つけた詩 – 世界を見つめる目 –」の展示会場、京都文化博物館に行ってきました。そのページの最初には、次のように記されています。

「科学者はときどき、思いがけない詩を発見する」
 
これは、京都ゆかりの物理学者・湯川秀樹の言葉です。

湯川は一方で進歩した科学が高度に専門分化する弊害を見抜き、科学者を「詩を忘れた人」であるとも書いています。一見、遠く離れているように見える「詩(芸術)」と「科学」。対峙するかのような両者に、新しいつながりを探るメディア芸術の作品があります。本展では、この若き科学者の探求と、彼らの言葉を手がかりにしながら、「世界を見つめる目」としての作品と科学者の言葉が開く地平を提示します。

どういう形で、こうした科学者の文化遺産が展示され、人々の心に届けられるか、見ておきたいという思いもありました。この女性4人組は、最近、湯川邸の主である由規子さんを支える市民の女性たち(いや男性もいるのですが、まあ何となく優しい人たち)とつながって、湯川博士の残されたものを見てみたいと意気投合したのです。この女性4人グループは、佐藤文隆さんにお願いして、おしゃべりを交えたオンラインカフェの実行部隊でもあります。湯川先生の残された心、それを知ろうという思いは、湯川邸をご訪問させていただいてより強くなっていました。

朝永さんの有名な書もありました。

不思議だと思うこと
 
これが科学の芽です
 
よく観察してたしかめ そして考える事
 
これが科学の茎です
 
そして最後に謎がとける
 
これが科学の花です
 
朝永振一郎

珍しいものでは、「不思議の国のトムキンス」を書いて宇宙のビッグバン説を提唱した、あの有名なガモフが日本を訪問した際に残された湯川宛のサインもありました。なつかしい!高校生の時、理科クラブに入っていたのですが、顧問の中塚五郎先生がこの本を紹介して下さったのを思い出します。原子の世界への誘い役をしてくれたのでした。先生のおかげで徹夜の天体観測も経験させてもらったのも思い出です。当時、クラブの男の子たちは、運動場の砂場で爆弾の実験をして、ご近所から苦情が出たこと、中塚先生が謝りに行かれたことなど、思い出すと、中塚先生も、随分ご苦労なさったのだなあと思います。

ところで、この展示の、科学の側面からの中心課題は、戦争と科学に関する科学者の思いであったような気がします。私は、湯川朝永のお考えは多少存じていたのですが、中谷宇吉郎のことばは、私には初めてでした。メモしようと思ったのですが、パンフレットに書いてあると思って帰ってから調べてみたら、なんと、パンフレットにはせっかくの先生方の文章は紹介されてなくて、芸術品だけが大きなページを割いて紹介されていました。せっかくの戦争と科学というとても大切なメッセージが、どこにも見つからず、がっかりしました。そのことをお話したら、中谷宇吉郎の文章が青空文庫にあると教えてもらい、一生懸命探しあてました。

青空文庫は、寺田寅彦などを含んで素晴らしい資料を私たちに提供してくれていますね。

「未来の足音」より
 
原子力の解放が、人類の文化の滅亡を来たすか、地上に天国を築くか、それは目前に迫った問題である。そしてそれを決定するものは科学ではなく、人間性である。人類の総数の半ばを占め、その上子供を味方にもっている婦人たちが、この問題について割り当てられた任務は、かなり重いといっていいであろう。
 
中谷宇吉郎

湯川論をこの際じっくり議論する中で戦争と科学の問題を次に続けて議論したいなあ、と今痛切に思っています。よく湯川とアインシュタインが比べられますが、湯川は絶対平和主義、アインシュタインは相対平和主義、これがどこから来るか、じっくり一度話し合いたいものだと思っています。この、中谷宇吉郎の考え方とも比べてみたいです。

この日、訪問した4人組は、その後、コーヒーとケーキをいただきながら、いろいろ感想も述べ合いました。

「目新しいアートを狙うために、科学をダシにしただけ?と思えないこともないなあ」

「湯川、朝永、中谷さんの、よさげな箴言をちょろっと掲げ、簡単に手に入った展示物を脈絡なく並べただけで、それぞれがどういう背景にあるか、またどういう意図で展示しているのかが伝えてほしかった」

「せっかくの朝永の書も第1行だけで、パンフレットには、後は書いてないな」

などの遠慮のない感想も飛び出しました。その話の中で、これから予定しているオンラインカフェをどのように進めるかも含めて、大いに語り合いました。その時、山岡さんが「湯川先生の贈り物」と言われたので、「そのタイトル、いいじゃない。でも先生はつかいたくないなあ・・」という話になり「湯川博士の贈り物」という名前で意気投合したのでした。山岡さんは、「月刊 京都」という「白川書院」でお仕事をなさっている方ですが、洛北高校の出身で、湯川先生とは繋がっておられ、洛北高校の新聞の切り抜きをいただきました。また、今回始めることになったオンラインカフェ「湯川博士の贈り物」を、この伝統ある「月間 京都」に乗せてくださいました。

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次々としい仲間ができて、とてもうれしいです。そしたら、中西さんから懐かしい思い出を語ってくださいました。中西さんは京大図書館に長い間務めておられた方です。

私が22歳ぐらいの時三条柳馬場のYMCAに通っていてついでに向かいの「京都家庭料理」の教室にも通っていました。今もあるんですねえ、、、、、
 
そこの校長さんと「白川書院のご主人」という方とお知り合いで料理教室によく顔をお出しになっておられました。今から思うと2代前ぐらいの社長さんでしょうか、、、、お着物でベレー帽をお被りになっておられました。私には仕事柄「月刊京都」はとても魅力的でした。自分の興味のある特集のものを必ず購入していました。
 
特集は「かなもじ」、「木簡」「寛永の三筆」、「古文書」のようなもだったと思います。本当に懐かしいです。湯川先生の件で山岡さんと繋がりのできたことを嬉しく思います。
 
中西幸子