2024年10月13日

on-line cafe “湯川博士の贈り物” ~佐藤さんの湯川論(ブログ その154)

このたび、あいんしゅたいんでは、未来に向けて市民と科学者の自由な話し合いの場を作ろうと、on-line caféを企画しました。 

on-line cafe “湯川博士の贈り物”

先頭をきっていただくのは、佐藤文隆あいんしゅたいん名誉会長です。

実は、毎年ノーベル賞の時期になると、「佐藤さんがノーベル賞受賞となったらコメントをいただけますか?」と、新聞社からお願いの電話がかかってきます。というのは、私と佐藤さんは、京大理学部の同級生、大学院は、私は素粒子論、佐藤さんは天体核物理学(そして亡き夫は原子核理論)と研究室は異なりましたが大学院でも同級生でした。その佐藤さんは、基礎物理学研究所の所長として日本ばかりでなく、世界の物理界を引っ張ってきた方です。

ノーベル賞は特別な意味合いを持っていますね。特に、日本で最初に受賞された湯川秀樹博士は、戦後の疲弊した日本人の心に希望と誇りの灯をともしたのです。そして、当時の若者や子供たちに、それ以来ずっと科学へのあこがれ、夢を与えつづけてきたのです。ノーベル賞のおかげで、京都大学にできた「湯川記念館」は、湯川先生の強い思いで、「基礎物理学研究所」という共同して集える場として設立されました。狭い仲間内で閉じるのではなく、大学も国も超えて、また学問の視野も広げて、多くの分野の異なる研究者が集い議論する場として設立したいという強い意志で貫かれた基礎物理学研究所は、素粒子という狭い範囲を超えて、物理学全般、そしてそれも乗り越えて天文学、生物学、地学、そして情報科学、など広い世界を展望して集える場として「共同利用」できる機能を持っている研究所です。

ところで、動物行学研究者でエッセイストの竹内久美子さんが、吉野彰ノーベル化学賞受賞時に産経新聞【正論】にエッセイを書いておられます。そこに、吉野先生が「研究には柔らかい頭と諦めない執念深さが必要」と述べられたのに反応して、「これこそが京大、特に理系学部の学生に伝承される、

ヘンなことを考える奴(やつ)が一番偉い

 という価値観だと共鳴されています。動物行動学教室におられた日高先生は、

いいか、絶対に型にはまるなよ

 言われ、若者が「よし、いつか先生をあっと言わせてやるぞ」という原動力となっていたというのです。竹内さんによると、

日高先生は東京大学出身である。しかしそのあまりの自由闊達(かったつ)さゆえ、東京時代はやや不遇な状況に置かれていた。救いの手を差し伸べたのは、京都大学である。そして教授として赴任することが決まった際、あの今西錦司氏が先生を祝して言われたのが「よう来た。あんた、これで大丈夫や。東京におったら、潰されとる」と言われた。日高先生は生前、この話を何度も何度も繰り返されていた。[1]

と書かれています。しかし、この伝統の源は、この湯川精神の発現である「基礎物理学研究所」の共同利用の働きだと思います。京大だけでなく、日本中、世界中に開かれた共同利用という精神で貫かれた研究所ができたことが、どれだけ大きな影響を与え、そして優れた成果を生み出したか、それを思い起こしています。今、湯川博士の残されたものを振り返り、私たちのこれからを展望することは、この閉塞気味の科学の世界にとってとても大切だという思いから、今回の企画が始まりました。

このお正月の便りの中に、2つの注目をひいたものがありました。1つはKさんのもので、

1日生きることは1歩進むことでありたい 秀樹

 という言葉が身に染みるようになりました、とありました。Kさんも素粒子論への夢を追い続けている研究者です。定年になると、残された命を無駄にしたくないという思いが強くなるのでしょうか。私は、Kさんよりもう1周りも年齢を重ねていますが、やっぱり同じ思いです[2]

もう1つはOさんからのもので、

岩波のPR誌に、亀淵氏が「英雄の生涯」というタイトルで湯川秀樹の晩年の「悲劇的なこと」を書かれているそうですが、坂東さんは読みましたか。

とありました。湯川先生を「英雄」といわれると、ちょっと違うような気がしますが、ハイゼンベルグと2人を並べるならこういう言い方かなとも思います。

英雄としてみるだけでなく、国際人として、あらゆるジャンルに深く思いをいたし、あとの半生を、核兵器のない世界への展望を単に希望とか思いではなく、人類と科学の在り方という観点から深く追及された湯川像に迫りたいです。

佐藤さんのお話は、湯川先生の全体像を5回連続でお話されます。佐藤さんのお話を聞くだけでなく、自由に発言できるように人数制限をしています。どうかご興味のある方は、お早く申し込んでいただき、ご一緒に、これからの世界について大いに語り合い、議論を共有したいと思います。なお、すでに中学生なども申し込みがありますので、できるだけ丁寧に説明し、湯川精神の神髄を少しでもわかっていただくようにと願っています。

もっとも、2回目は科学の話へと移っていきますが、1回目は、エピソードなど、湯川先生のお人柄とか日常生活なども話されるのではと思います。


[1]東大の悪口を言うつもりではないのです。私は東大も色々な科学者がおられます。その片鱗は和田昭允先生有馬朗人先生等にも紹介しています。当時東大理学部の反逆児3人組は、和田、有馬、そして小柴昌俊のお3人の教授だったということです。

[2]写真は、湯川家にある書。写真を撮らせて頂いた湯川家、撮影頂いた岡田知弘(京大名誉教授)に感謝します。