テーマ説明

3月11日巨大地震と同時に起こった東京電力福島第一原子力発電所事故は、我々に様々な問題を投げかけました。

「今回の事故はどうして起こったのか」
「なぜ、原子力開発に関しては、多くの物理研究者が関わることをやめたのか」
「事故の経緯をどれくらい明らかにできるのか」
「湯川原子力委員が辞任したのはなぜか」
「原子力と原子核の壁は打ち破れるか」
「低線量放射線の生体への影響はどこまで明らかになっているのか」
「放射線と人類との関わりは」
「放射線教育の現状とこれからをどう考えるのか」
「原子力は人類にとってコントロールのできない魔物か」
「エネルギーの未来像は」

このように、科学者のなかでもいろいろな意見が飛び交い、科学者自身も答えを出せないでいます。それが市民の専門家に対する失望をひき起こしています。こうした混乱の根には、世界の政治情勢や原子力エネルギー導入の歴史的経緯が絡んでいることも事実ですが、われわれ科学者としてはまず、原子力学界と物理学界の意識のズレがどのように歴史的に形成されてきたのか。あるいは原子力という巨大科学の進め方についてどう考えるのかを検証することが大切です。

また、低線量放射線の評価を巡っても今後の復興の過程で議論が錯綜することでしょう。

今後は、放射線の生体への影響を科学的知見に基づいてできるだけ客観的に捉えることが重要になるでしょう。すでに放射線治療や放射線を用いる多くの応用分野が開けている放射線生物学者の意識と、湯川博士を嚆矢に核兵器廃絶のために働いてきた物理学者の感覚とでは、低線量放射線の生体影響についてずいぶん異なった評価をする場合も多く、これが大きな意見の食い違いを生じています。放射線生物学は、物理学と生物学の両方の知見をもとに組み立てられるべきなのですが、専門領域が異なるために齟齬を生じていることも珍しくありません。

今回のようなシビアな事態を前にしているからこそ、もっと知恵を出し合い、領域横断的な交流を行って人間の知恵を高める必要があります。そのために、原子力分野、生物分野、物理学分野が領域を超えて率直に意見を交換し、問題のありかを探り、課題を明確にすることが必要です。

とはいえ、上記のような多くの問題を網羅するのはとてもできませんし、また基礎科学研究所の「研究会」として行う以上、学問的基礎の上に立った知見を共有し今後の方向を探ることが当面の目標となります。今回は研究会の焦点を絞り、学問の内容に立ち入って議論することで、3者のネットワーク形成に向けて第1歩を踏み出すことにあります。3日間ですので、3つのテーマとします。


本提案に至った経緯

本研究会は、2012年度京都大学基礎物理学研究所共同利用の研究会として申請いたしました。しかし研究会のテーマである「原子力と原子物理学」は、「基礎物理学研究所研究会として、テーマの重要性は認めるが、一般の研究会と同じ枠に縛られないほうがより主旨にあった研究会になると期待される」という理由で、不採択となりました。
そして、「本委員会からの意見を踏まえ、計画を練り直して基礎物理学研究所に再提案してください」という通知を頂きました。
また別途、九後所長から、「研究会としては性格が合わないが、今回の研究会は重要であるので、別途基研の留め置き予算で、ぜひとも実現させてほしいという共同利用委員会の要請があった。そこで、基研としての予算をつけることになるが、これは所長預かりとなったので、きたる2月20日、計画は所員会議に諮ることになった。プログラムを具体的にし、内容を絞って提案されたし」と連絡を受けました。
そこで、改めて提案資料を作りました。

共同利用運営委員会の議論では、申請された提案説明書には研究会の内容が十分示されていないとの意見もあり、所員会議での議論には資料が必要だということでした。そこで、計画書を別途作成しました。趣旨は、

1)研究会で議論するテーマを絞る
2)テーマの説明をより詳しく説明する

以上の趣旨で、放射線教育がギリギリの線として、純粋な研究活動に焦点を絞りました。

なお、これに関わるより社会とつながった議論は、当研究会とは別に、世話人代表の坂東が理事長をしているNPO知的人材ネットワークあいんしゅたいんの事業として企画することといたしました。

リンク先:NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん(通称:JEIN)ホームページ:http://jein.jp/
     特に http://jein.jp/activity-report/ldm.html にて順次紹介していきますので、こちらもご覧ください。

 

テーマの選定の経緯

当初、テーマを以下のように考えていました。

● 原子力と物理学-歴史(学術会議、学会)
● 原子力発電の技術的問題(地震国での問題も含めて)
● 廃棄物処理の展望(ADS、地層処分、核燃料サイクル等を含む)
● 放射線影響問題(低線量放射線の生物物理学的知見)
● エネルギーと環境問題(自然エネ、新原発や核融合などを含む)
● 専門家・学界と行政・学校・社会・放射線教育
● 原子力学界と物理学界の現状についての海外事情

しかし、当日説明したように、全部を取り上げるのはそもそも時間的にも無理です。今回の研究会は、今後の研究者のネットワークを内容に立ち入って作り上げるきっかけにしたいという気持ちがあり、そのためには事前に世話人で議論を詰めることが必要だと思っていました。しかし基研としての行事となると、世話人で相談する時間的余裕がないので、とりあえず皆さんにメールでご意見を伺いました。提案書の内容が

1)一般向けのアウトリーチ活動
2)研究者向けの啓蒙活動
3)研究者の勉強会
4)何らかの研究発表の場

のいずれとも取れるようなものなので、今回の研究会では1)は含まず、2) は3)を主体とした企画で含ませることとします。つまり、4)を主体にして、3)でオーバーオールなビジョンをもてるよう議論を詰める方式にしたいと思います。

 

異分野をむすぶ研究者交流の意味

最後に、今回の事故をきっかけにして、異分野間のコミュニケーションと協働体制の構築が探られ始めました。これが新しい学問の突破口となる可能性があることを、強調しておきたいと思います。
1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた水爆実験では、広島型原子爆弾約1000個分の爆発力(15Mt)をもつ水爆が炸裂しました。このとき、第五福竜丸をはじめとする多くの漁船が死の灰を浴び久保山愛吉氏の死亡にまで至ったことはよく知られています。日本の科学者たちはすぐさま、気象学の立場から山本龍三郎による気圧測定・津波予測などを、物理化学サイドから飛散した灰の物理的科学的分析による検証(猿橋勝子・木村健次郎、南英一ほか)などを、そして5月には俊鶻丸でビキニ海域とその付近の放射能の影響調査・海洋調査を指導したのです。
科学者が非常時にいかにこの問題に取り組んだかについては、福島事故を経た今日、万感の思いがあります。またそれにもまして、この俊鶻丸に乗り込んだチームが体験した領域を超えた学問的交流は、深い感銘を我々に与えます。編成されたテーマごとのグループ、生物班・海水大気班・気象班・海洋班・環境班・食料衛生班には、当時の若いプロの科学者が選ばれたそうです。
今回も、そうした新しい分野を切り開くきっかけになればいいなと思います。

調査団の構成は多方面の専門家から成り立っていた。物理、化学の専門家もいれば、食品衛生の専門家も、水産学者もいた。かれらは、放射能汚染の実態を把握するという共通の目的を果たすために、お互いの知識と情報を交換する必要に迫られた。多忙な昼間の仕事を終わった団員たちは、夜はセミナーで忙しかった。 マグロの生体に関する講義から、シンチレーション計測器の講義までが行われた。我が国の科学者の欠点といわれてきた閉鎖性や狭小性が、ここでは徐々に取り払われつつあった。俊兀丸は科学の新しい実験場であり、浮かぶ研究所でもあった。専門分野の枠を超え、団員たちが戦場で得た相互理解は、のちに日本放射線影響学界という、まったく新しい型の学会に発展するのである(1959年)。(死の灰と戦う科学者 三宅泰雄 P65 より)

福島事故から1年を経過した今、分野横断的な研究会をするのにふさわしいのは基研ではないでしょうか。そう考えてこのたびの研究会を申請することとしたのです。これを契機に、科学者の領域横断的かつ世代間の交流が促進することを期待しています。